九州のライオンズ移転にみる,プロ野球の構造的欠陥

column D3

こんにちは,橋山研でプロ野球の研究をしている松原です.
最近は暑かったり雨だったりでなんだか疲れますね.
今回は1978年に起きた「九州のライオンズ移転」を事例に,プロ野球の構造的欠陥を分析したいと思います.

このコラムは,第一部に九州のライオンズの移転までの流れを記述し,第二部にアナリティクスとして,「なぜ移転は防げなかったのか?」をプロ野球の構造から論じていきます.最後に,後日談としての「2004年の球界再編問題と福岡」を書いていきます.
少々長いですが,どうぞお付き合い下さい.

1. ライオンズの栄光と失墜,そして移転

今回話題にするライオンズは,系譜的には現在の「埼玉西武ライオンズ」と同じ球団とされています.
「ライオンズ」は1951年,「西鉄(にしてつ)ライオンズ」として福岡に誕生しました.
しかし,1972年に西鉄が球団経営から撤退し,「太平洋クラブライオンズ(1973-1976)」,「クラウンライターライオンズ(1977-1978)」を経て,1978年10月に西武(コクド)に買収され,福岡から埼玉の所沢に移転しました.

ライオンズの移転により,福岡・九州はプロ野球球団を失いました.九州にプロ野球球団が無かった状態は,前回の記事で話題にした「ホークス」が福岡にやってくる1988年まで,約10年続きました.

それではまず,なぜ福岡・九州からライオンズが移転してしまったのかの経緯をまとめていきます.

九州全土の声援受けて 〜栄光の西鉄ライオンズ〜

西鉄ライオンズは「魔術師」三原脩監督のもと,「野武士軍団」と呼ばれた強豪チームでした. 1956−1958年の読売ジャイアンツ相手の「日本シリーズ三連覇」は特に有名で,中でも1958年は「鉄腕」稲尾和久投手の力投などで3連敗からの4連勝によって優勝し,「神様,仏様,稲尾様」と呼ばれました.

当時は現在と違い,物や娯楽がほとんどない時代です.
西鉄ライオンズの活躍は,敗戦の焼け跡から復興する福岡,そして九州の人々の心に刻まれました.
また,東京や大阪の「都会」に出ていた九州出身の人々にとって,地元ライオンズの活躍は誇りだったそうです.



西鉄ライオンズの「NとLの野球帽」


黒い霧,そして太平洋・クラウンへ

三連覇の後,ライオンズは三原監督の退陣,主力選手の引退や放出を経て,徐々に弱体化していきます.

1963年に西鉄ライオンズとして最後の優勝を飾った後,1969年に黒い霧事件と呼ばれる賭博事件をライオンズの選手が起こしました.

かつての王者のイメージは地に堕ち,主力選手を含む6人の処分者を出した西鉄ライオンズの戦力低下は甚だしく,1970-72年の3年連続の最下位を経て西鉄が球団経営から撤退しました.

その後のライオンズは,中村長芳オーナーが私財を投じた福岡野球に移行し,親会社を持たない貧乏生活が始まります.具体的には,他の球団のように親会社からの資金をあてにできないため,太平洋クラブ(1973-1976),クラウンライター(1977-1978)とスポンサーシップ契約を結んで運営をやりくりしました.

この間のライオンズは,1975年に3位となった以外,一時的な勢いはあっても低迷する時期が続きました.

長谷川晶一氏の『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』に,この時期のライオンズの苦悩が描かれています.

ライオンズをかえせ! 〜届かなかった声〜

1978年に,福岡で「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」という曲が流行りました[田中(2018) p120].

この曲は次のような一節から始まります.

だれに怒っていいのか わからないが
おれの西鉄ライオンズ もうなくなった

かつての西鉄ライオンズの栄光の時代から一転,低迷,迷走するライオンズを嘆くファンの想いが記されていきます.

しかし,それは「九州のライオンズ」を応援していたからこそで,たとえ球団の身売りの噂はあってもまたいつか,強いライオンズに戻るだろうという気持ちからです.

そのため,九州からライオンズが無くなるという衝撃は,とても大きなものでした.

球団名が10年で2回も変わるのは異常事態です.その時に,残念ながら地元福岡,そして九州はライオンズを支えられませんでした. そして,最後には福岡から遠く離れて埼玉の所沢に移転し,「九州のライオンズ」が消滅しました.

1978年11月18日,九州のライオンズとしての最後の試合で,上記の「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」が応援団により流されます.[山田(1989) p.257]

かえせ! かえせ! ライオンズをかえせ!
かえせ! かえせ! ライオンズをかえせ!

私はこの曲を聴いていると,なんとも言えない寂しい気持ちになります.



甦れ!俺の西鉄ライオンズ(1978)


2. アナリティクス:なぜ移転は防げなかったのか?

続いて,九州のライオンズ移転の事例から,私が考える現在まで続くプロ野球の構造的欠陥を3点あげていきます.

①プロ野球球団の経営基盤の脆さ

プロ野球は,親会社と呼ばれる特定の私企業によって経営されることが多い. しかし,西鉄が経営から撤退した後のライオンズは,親会社ではなく「福岡野球」と言うなの会社によって運営され,ライオンズの球団オーナーのだった中村氏の私財と「太平洋クラブ」「クラウンライター」とスポンサー料で運営されていました.

しかし,収入が得られる主催試合が興行年に60試合程度しかない上に,お客さんの数が安定しません.
特に,チーム成績が低迷した時期は,1試合2000人,平均5000人しかお客さんが来ないこともありました(ライオンズの本拠地だった平和台球場の収容人数は3.4万人).

このような不安定な経営基盤で,ライオンズは苦しい球団経営を続け,最後には身売りしました.

他のプロ野球球団も(巨人・広島以外)長年赤字に苦しみ,ライオンズのような球団の身売り・本拠地移転がこの後も繰り返されます.

②「球団は永遠に地域にある」という思い込み

これは九州のライオンズに限らず,多くのプロ野球ファンが口を揃えて言っていました.

理由は分かりませんが,プロ野球球団には多くの人に帰属意識を植え付け,動員するような「なんらかの構造」があるようです.

これについては,いつの日か研究してみたいです.

③地元のファンと球団とのディスコミュニケーション

最大の欠陥は,球団とファンとの間でコミュニケーションの「場」がないことだと思います.

ライオンズは西武への身売り前に10億円の負債を抱え,経営の限界を迎えていました.

しかし,球団はこのことをできるだけ公表しなかったため,地元はライオンズの苦しさを知らず,行政による球場使用料の値上げ等,ライオンズに対する嫌がらせもあったようです.


①のように,プロ野球球団は収入が安定せず,経営基盤を親会社に頼っていました.

そのため,親会社の意向により,プロ野球球団は身売り・本拠地移転が行われます.

その際に,身売り・本拠地移転の際にファンの声が聞き入られることはありません.聞き入られる「場」がないのです.

現状,署名運動やデモなどでしかファンは意思表示をできません.

これこそが,私は現在まで続くプロ野球構造の一番の問題だと考えます.

「地域密着」を掲げてプロスポーツクラブを経営するのであれば,ファンに対して最後まで責任を持ってクラブの運営を行えるような,ファンとコミュニケーションを行う「場」を作るべきだと思います.

おわりに 〜福岡と2004年の球界再編問題〜

2004年,慢性的な赤字を抱えていた大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併,消滅しました. その際に,親会社のダイエーが経営不振になっていた福岡ダイエーホークスにも合併,場合によっては球団の消滅が報道されていました.

そのような状況下で,福岡の空港や地下鉄では,職員が自発的に ホークスのユニフォームを着て仕事する 光景が見られたそうです[小林(2004) p66-67].

これは,「 かつて福岡市民がライオンズを支えられなかった 」という経験から,「ホークスを応援している」と言うことを示すためにやっていました. 幸い,その後ホークスは「福岡ソフトバンクホークス」として存続し,球団歌なども変わらずに現在に至る人気球団となっています.

しかし,これはたまたま球団の買い手が良かったと言う偶然の要素が強く,依然,球団経営にファンが関わることは出来ない状況が続いていると私は思います.

プロ野球球団はただの私企業ではなく,その地域のシンボル・誇りとなる存在です.

どうか,球団と地域が一緒になって持続していける仕組みを作れないかとこれからも考えていきたいです.



2004年の福岡ドームでの試合の様子.この年合併により消滅する
大阪近鉄バファローズのファンが「合併反対」の横断幕を掲げている.
この「声」は球団のオーナー達に届いたのだろうか.


文責  :松原 弘明
ご意見等:h.matsubara[あっとまーく]uec.ac.jp

参考文献・サイト:

  • 岡田潔(2012)『我が心の博多、そして西鉄ライオンズ』,海鳥社
  • 小林至(2004)『合併、売却、新規参入。たかが・・・されどプロ野球!』,宝島社
  • 埼玉西武ライオンズ ヒストリー(最終閲覧2021年6月11日)
  • 坂井保之(1995)『波瀾興亡の球譜』,ベースボール・マガジン社
  • 田中正恭(2018)『プロ野球と鉄道』,交通新聞社新書
  • 長谷川晶一(2015)『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』,日刊スポーツ出版社
  • 山田衞(1989)『本日球診 わが西鉄ライオンズ』,葦書房
  • 山室寛之(2019)『1988年のパ・リーグ』,新潮社

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