B4 小川です。
今回の話題は、「文字を書くこと」です。
ますます文字を手書きする必要性が減ってきている現代ですが、
手書きの意義や重要性についてまとめます。
現代では、パソコンやスマートフォンなど、文字を「打つ」ことができるデバイスに多くの人がアクセスできるようになっています。
メモをとるにしても、スマートフォンにその機能が備わっていることも多く、リアルな紙に書いておく必要は必ずしもありません。
事務書類などに関しても打ち込み・印刷が当たり前ですが、一部の署名が必要なものに限り、手書きの必要性が出てきます。
しかしながら、最近ではデバイス上に指で手書きする、デジタル署名の形式も増えてきています。
このように、文字を手書きする機会が減りつつある現代において、「文字を書く」ことの意義とはなんなのでしょうか。
手書きすることは、多くの人にとって機会がまったくなくなったわけではありません。
が、機会が減少していることは確かです。
「手書きする機会が減った」と感じている人は増えてきており、
また、年代別では若い世代ほど手書きの機会は少ない、という調査結果もあります。
(出典:https://cumacuma.jp/eq/eq_index/survey/)
(出典:https://career.oricon.co.jp/news/63147/)
(少々古いですが、2009年の記事より)
時代(環境)の変化による影響に加えて、古い時代を過ごしてきた年代ほど、手書きが習慣として残存しがちなのかもしれません。
打ち込む文字は、ミスがあれば簡単に消して書き直すことができ、後からいくらでも修正することができます。
一方で書き文字は、シャーペンなど消せる筆記用具であれば消すことができますが、手間もかかり、
ボールペンなどであれば基本的に「完璧な修正」はききません。
そういった打ち文字の圧倒的優位性からしても、「必要性」が薄れつつある「文字を書く」ことですが、
その反面、貴重なもの、大切にすべきもの、としての株が上がっています。
誰でも完璧に整った文字が書けてしまう、つまり、
些細なシチュエーションでも、フォントとして文字を打ててしまう現代だからこそ、
手書きの文字というのは大事に見ていくべきだ、ということですね。
このように、必要性よりも尊重性の方が上に出てきている時代になり、
書き文字の習い事における注目度は上がっているように思えます。
ひとつは、いわゆる子供時代の習い事としてよくある「習字」があります。
習字というと、筆で書く毛筆のイメージの方が強いと思いますが、
硬筆、つまり鉛筆で書く文字も、小学生向け等では一緒にやっているところも少なくないでしょう。
筆者も、5歳ごろから小学6年生くらいまで書道教室に通っていました。
そのおかげか、書き文字に関しては少々自信を持てるようになるまで至っています。
他には、大人向けのものとして、もちろん毛筆の教室もあると思いますが、いわゆる「ペン字」の講座が多く見られます。
手書きで書かなくてはならない、あるいは手書きで書くことが望ましい状況の時に、きれいに書きたい
というシチュエーションを想定して、美しく文字を書くことの必要性を推しているのだと思われます。
手書き文字は、宛名や手紙といったものだけではなく、デザインのひとつとしても使えます。
むしろ、近年ではそちらの方が重要視されてきているでしょう。
英単語など、文字を書くことでその内容を記憶する、という場面があるように、
文字を書くことが認知機能にとって好影響を持つことは、何となく予想がつきそうです。
これはアウトプットの例になりますが、
キーボード入力に比べて、手書きの方が記憶した内容をよく書き出すことができる ということが報告されています。[3]
「書く」という行為そのものが、人間の脳の働きにとってよい影響を持っているため、
このような認知科学的点からも「手書き」の重要性が言えます。
小学生の頃などは、漢字の書き取り練習など、ひたすら文字を書かされる場面に辟易していた方も少なくないでしょう。
逆に考えると、大人になるにつれ、文字を手書きする場面というのは減る傾向にあります。
こうした中で、文字を書くことは半ば「趣味」の域になっているのではないか、と思います。
文字を書かなければならない状況が減ったことで、そういった意味では、特段きれいな字を書くという必要性も以前より薄れてきた現代ですが、
きれいな字が書ければそれは長所ということになりますし、その先で、文字を書くことが楽しい と思えたら、それは趣味にもなり得ます。
このあたりはなかなか個人差があるところかもしれません。
ですが、現代だからこそ、そのような価値も見ておくべきだと思います。
本記事では、現代における「手で文字を書くこと」の価値や意義について述べてきました。
手書きを必要とする場面はますます減りつつある時代です。
そんな時代だからこそ、手書きはただ言語を記録するだけでなく、美しく書く、楽しく書くといったような、新たな価値が浮かび上がってきていると考えます。
確かに、美文字のような意識は(特に日本では)古くからあるようですが[4]、コンピュータが「記録」の部分を請け負ったことで、その側面がより浮かんできていると言えるでしょう。
人間の脳機能に対しても、手書きが好影響を持つことがわかっているように、
長い間で培われた人間の知的行為としての価値もあります。
これから、文字を書くということへの意識が尊重され続け、より広い形で根付いていくことを、
私は願っています。
[1]. 世論調査から分かる現代人の手書き意識について | ペン字いんすとーる, https://cumacuma.jp/eq/eq_index/survey/ (2021.10.27閲覧)
[2]. 「文字を書く機会減った」49.3% 自分の字に自信がない人は8割強に | キャリアニュース, https://career.oricon.co.jp/news/63147/ (2021.10.27閲覧)
[3]. Dzulkhiflee M., 田野俊一, 岩田満, 橋山智訓, 日本語のメモ書き作業における手書き入力の有効性, 電子情報通信学会論文誌, J91-D, pp. 771-783, 2008.
[4]. 私たちは「なぜ美文字でありたいか」を考える - おやこで美文字!ひらがなオンライン講座/オンラインこども書道教室, https://oyakobimoji.com/657/ (2021.10.29閲覧)